140字小説コンテスト

季節の星々(冬) 

 

 冬の文字

 

作中に「天」という文字を入れる

 

募集期間

2026年1月1日〜31日

 

応募総数

1358編

 

選考

ほしおさなえ

季節の星々選考委員会

 


 

入選

  

 

おおらり

(へいた選)

 

天の川を見たことがある、秋に。大学のフィールドワーク中、お風呂からの帰り道。山あいの農村は空気がひんやりとして、さむいさむいと言いあった。誰かが私の肩を押し、誰かが星が綺麗だよと笑った。ひとりも名前を思い出せない。見たこともない程たくさんの、星が流れる川があって。目の奥に残った。

 

 

形霧燈

(のび。選)

天に召されると人は21g軽くなる。それを聞いたぼくは、動物はどうだろう、と考えてレオを体重計に載せる。サモエドのレオ。明日がその日かもしれないから毎日測る。ママは「仲良くなったね」と笑う。違う、残酷な実験なんだよ、これは。なあ、分かってんのかレオ。分かったらぼくのひざをなめるな。


 

橋本航

(四葩ナヲコ選)

 

彼女はとてつもなく天才なので、二手も三手も先を行きます。ぼくが頼む前に買い物を済ませ、ぼくが怒る前にごめんなさいねと言い、ぼくが好きだと言う前にありがとうと言います。かわいげがないと思いますか。決意の日、ディナーの前菜で既に真っ赤になっているあなたの顔を無視して乾杯から始めます。

 

藤原かをり

(石森みさお選)

昨夜の吹雪で天が少し欠けたらしい。朝、庭を掃いていると、青磁色の冷たい破片がいくつか落ちていた。拾い上げて日に透かすと、中にはまだ眠っている星の子供が閉じ込められている。私はそれをストーブの上の薬缶でゆっくり温め、湯気と一緒に空へ返す。冬の空が、昨日より少しだけ高くなった。

 

佳作

 

浅葱佑

 

せっかく旅行に行ったのに行った場所の地名が全然思い出せないと彼女は言った。すごく楽しかったのに。そういうことあるよねと口先だけで同情した。その日が彼女と会った最後だったのに、その会話以外には狭い天丼屋のトイレしか覚えていない。そういうことあるよね。あの日の言葉が沈むまで繰り返す。

 

右近金魚

 

天地無用と記された箱を開くと、白い雲のような鳥がいた。父そっくりの声で「お腹と心は温かくするんだぞ」と言い、私に返信しろと長い首で促す。「ええと、お父さんの鉢植え大切にしています。そちらもお元気で」鳥が去った後、天国の人に元気でなんて変だったかなと苦笑いする。胸がふわふわ温かい。

 

花明

 

まっさらな紙に尖ったペン先をぷすぷすと挿す。穴と穴とを線で繋ぐ。HB型ロケットペンシルは、そうして大小の星を旅してゆき、紙をぼくだけの星座盤にした。ほん座。つくえ座。オリオン座(気づくとそこにあった)。ちきゅうぎ座。サッカーボール座。窓にかざせば広がる天の川。ぼくの部屋は宇宙だ。

 

城崎悠李

 

祖父が亡くなり、遺品である天目茶碗を譲られた。とても綺麗で、ありがたく受け取った。天目茶碗には、夜になると海が現れることに、しばらくして気付いた。海の中には人魚が棲んでいて、時に歌を聞かせてくれる。歌に乗って、天目茶碗の水底から漂う抹茶の香りを嗅ぐのが、最近の楽しみになっている。

 

 

ヒーローになりたい天むすと旅に出た。アリに一粒ずつ差し出し、味を知りたい海藻に海苔を渡し、長寿を願う贈り物として老人にエビをあげた。僕も一口かじった。消化吸収されて魂の一部となり君はいなくなった。寂しいときには胸にそっと手をあてる。心臓の音がする。温かい。ヒーローは僕の中にいる。

 

森宮ほたる

 

祖母は冬の間、古びた織機で「天」の裾を縫い直す。解れた北斗七星の端っこや、凍えて震えるオリオンの肩を、銀の糸で丁寧に。天は広大すぎて一人では繕いきれないから、夜は街中の針子が窓を開け、冷たい風に糸を託す。明日の朝、空がいつもより高く澄んでいるなら、それは名もなき誰かの仕事の跡だ。


 

石森みさお

 

読み飛ばしてもよい前置きです。

何度でも言いますが私は140字小説が大好きです。思い立ったらすぐに読めてしまえる気軽さと、短い中にも奥深い情景を込められる豊かさを愛しています。ままならない気持ち、叫べない言葉、だれかと分かち合いたい景色、ちょっとした思いつき。私はそんな現実では口にするのがためらわれるようなものを140字小説に託してTwitter(私にとってはいつまでもTwitterです)へ放流しては楽しんできました。そう、いつの間にかこのような場で選評などを書かせていただけるようになっていましたが、私はただ140字小説を愛して楽しんでいるだけの人です。そして春の星々の選評でも宣言したとおり、これはラブレターです。わりと重めの。それではどうかお納めください。

 

個人賞に選んだ藤原かをりさんの作品。

宮澤賢治の童話のような、冬の日の美しいファンタジーです。淡々と抑えめながら端正な言葉選びで、美しく澄んだ冬の朝の情景が伝わってきました。「青磁色」という色の選択も良いです。少し灰色がかった青緑色。星の輝く夜空の破片であるなら私は最初に瑠璃色をイメージしてしまうのですが、その後薬缶で温められて湯気となり空へ帰っていくならば、やはり淡い青磁色の方がこの作品のイメージに相応しいと思いました。星の子供が閉じ込められた破片を日に透かしたら、高く晴れた空のように光るのでしょうね。140字の中で、無駄なく、端から端まで言葉が綺麗です。日に透かして、穏やかな気持ちでいつまでも眺めていたい作品でした。

 

佳作から。

浅葱佑さんの作品。繰り返される「そういうことあるよね」という言葉に、凝縮された諦めと悲しみを感じました。あとから思い返したら大事な時間だったかも知れないのに、その瞬間はなんの感慨もなく雑に過ごしてしまうこと、あるよね。どうしようもないけれどどうにかしようがなかったかな、とぼんやり後悔のような気持ちを覚えること、あるよね。「あの日の言葉が沈むまで繰り返す」のは、そんな後悔を覆い隠すため。ささくれのような胸の痛みを切り取ったお話に、どうしようもなく共感しました。私も、そういうことあるので。

花明さんの作品。ロケットペンシルで紙に開けた穴を星に見立てて宇宙を旅する。こういう日常生活から膨らむ空想のお話、大好きです。ただの鉛筆ではなくロケットペンシルなのも遊び心があります。はたから見れば訳の分からない子どもの遊びでも、本人の目の前には自分だけの宇宙が広がっているんですよね。花明さんの作品はいつも世界への眼差しがあたたかです。

 

二次選考通過作から。

蒼井どんぐりさんの作品。どこの国の言葉ともつかない異国風の名前が印象的な作品でした。エルーカ、ポマル、クシャカ、そしてハルヤナ。少し乾いた、郷愁を覚えるような響きです。こういった音の選び方にも書き手の感性が表れるのだなと思いました。

赤井尻さんの作品。どうしましょう、牛乳寒天のミカンを生き物に見立てるなんて。「ミカンにはまだ息がある。ラッキー。」なんて言葉が存在するなんて。みずみずしいミカンの果肉に、愛らしい金魚のイメージが重なりました。その発想力に脱帽です。

白埜京志郎さんの作品。コインランドリーの乾燥機から何故か突然天使が現れる……思わずふふっと笑ってしまうような、こちらも発想力豊かな作品です。突飛なんですけれど、「質量のある翼」という表現が現実的な手触りを与えていて上手いなぁと思いました。

 

一次選考通過作から。

橘ゆずさんの作品。「幸福な泉に浮かぶハクモクレン」という表現がどうしても好きですということをお伝えしたいです。湯にぽっかりと浮かぶ体の駘蕩とした様子を表すのに、これほど似合う例えもないでしょう。

凪みかんさんの作品。こちらも「ビロードの夜みたいな歌詞」という言葉が個人的には刺さりました。曖昧に滲んだ表現や、途切れがちのラジオのような終盤の流れをどうイメージするかは読み手によると思いますが、私はとても好きです。

 

コンテストなので、審査なので、受賞した作品はもちろん140字小説として完成度の高いものばかりです。初めて審査を担当した春の星々の選評の冒頭でも書いたのですが、完成度の高い作品は「きらきらと輝く宝石箱」「色とりどりのチョコレートボックス」「精緻な箱庭」を連想します。けれど実は選考の過程で泣く泣く落とした作品の中にも、たくさん光るものがあるのです。発想が面白いもの、はっとするような表現があるもの、どうしても心惹かれてやまない印象的なもの。選考委員をさせていただいたおかげで、そういった多くの素晴らしい作品に出会うことができました。

受賞された皆様、心からおめでとうございます。そして惜しくも落選された方々、私、あなたの書いた140字小説が好きです。どうかこれからも星々のコンテストを通じて、140字小説の世界が広がっていきますように。

ありがとうございました。

 

のび。

 

140字という限られた文字数の中に、どれだけの物語を描けるか。季節の星々の中で、何度もその「可能性」に驚かされた。同じ書き手として、目に見えない境界線を言葉でなぞり、こちらの世界とあちら側の世界を繋ぐような、静かで切実なたくさんの物語に出会えたことを嬉しく思う。

 

個人賞には形霧燈さんの作品を推した。

読みやすく、分かりやすく、そして何より物語として面白い。この3つを140字の中で揃えることは、難しい。自分自身、いつも頭を悩ませている。魂の重さが21gだという都市伝説を、大切な愛犬を毎日体重計に載せる少年の姿に重ねた発想と構成が実に見事だ。

140字という短い形式では、書ききれなかった前後、込めきれなかった感情など、作者にしか分からない情報がある。その点で作者と読者の間には大きな「隔たり」があるが、それは決してネガティブなものではない。隔たりは「余白」となり、読者が物語を楽しむための入り口になるからだ。この作品の余白は、読者を置き去りにせず、かつ強制もしない。自由に想像を広げられる、のびのびとした余白だ。自分はこの余白に触れて、きっと少年はその時が来たら、我慢せずに声を上げて泣くのだろうな、と想像した。140字の外側に広がる少年のこれからの時間を、そっと覗き込みたくなる。読み終えた瞬間、また最初に戻って、今度は別の角度から景色を確かめたくなる作品だ。

 

佳作について。

応募作の中で、いちばん強く余韻が残ったのが森宮ほたるさんの作品だ。

「天の裾を縫い直す」という壮大なファンタジーを、古い織機や銀の糸といった、手仕事の柔らかな手触りで描き切っている。北斗七星の端っこやオリオンの肩という遠い宇宙の存在を、身近な出来事として扱う視点のジャンプが楽しい。遠い天体の物語を、指先の温もりが伝わるほどの近さまで引き寄せてしまう。その描写の力が心地よかった。

140字という制限の中にギュッと詰まった世界観の濃密さ。そして何より、無駄のない美しい言葉運びと丁寧な言葉選びが、物語をどこまでも純粋なものにしている。物語の中の「ここではないどこか」と、今実際に自分が生きている世界とが繋がる感覚は、自分が小説に求める一番の楽しみだ。まさにこの作品は、ふと見上げた夜空の下で「今もどこかで誰かが空を直してくれている」と信じさせてくれる。

 

城崎悠李さんの作品には、課題文字の使い方と、そこから広がるイメージに驚かされた。

遺品である天目茶碗の中に「海」が現れるという着想が好きだ。「人魚の歌声」と「水底から漂う抹茶の香り」。視覚だけでなく聴覚と嗅覚まで使って天目茶碗の中の世界を描くことで、読者もその茶碗を手に取っているような感覚になる。五感を通じて物語に引き込む、その技術が見事だった。

静かな和室で茶を点てる日常の中に、人魚という異形がごく自然に共存している。その違和感すらも楽しみ、受け入れている主人公の姿には、故人との思い出を懐かしんでいるような、受容の時間が流れているようにも感じた。

 

これで今期のコンテストは最後となる。自分自身、常に参加者の鋭い感性に審査されているような緊張感の中にいた。小説を書くこと、伝えたい想いを磨き上げることは、とても孤独で苦しいものだ。それに孤独の形はそれぞれ異なっていて、互いの孤独を100%理解することは不可能に近い。しかし理解しようと努めること、寄り添おうと試みることはできる。だからこそ我々は物語を書くし、物語を読むのだと思う。書くことの孤独は変わらない。それはあなただけのものだ。これからも、あなたの内側にある孤独と書きたいことを大事にしていってほしい。次年度もがんばっていきましょう。私もがんばります。負けません。

 

へいた

 

松本大洋に「ピンポン」という卓球を描いた漫画があって、実写の映画にもアニメーションのテレビシリーズにもなった。卓球を描いた漫画だけあって、作品のかなりの部分が卓球の試合のシーンになる。卓球のボールの球速は極めて速い。漫画で描かれている以上に映画もアニメーションもその速さを描くことに注力しているように思った。でも、作品の受け手として、結局どの表現を一番速く感じたかというと漫画であるように思う。動画である映画やアニメーションは構造上球の軌道をなんらかの方法で描かざるを得ないが、静止画である漫画は省略することができる。光の筋を描いて飛ぶ球の姿よりも、球を繰り出す選手のコマとそれを弾く選手のコマの間にある幻の球速以上に速いものはない。

ファンタジーとはなにか、物語とはなにかについてはたくさんの言説があり、わたしがあれこれ言うのも恐れ多いことだと思うのだけれど、それが「どこ」にあるかについては、「わたしとあなたの間」と答えられるのではないかと思う。理論的なものではなく、体感的なものだ。無責任に言ってしまうと「なんとなく」なのかもしれない。

手袋の右手側を右手にはめて、左手側ははめずに丸めて右手の人差し指にさす。簡単な指つかい人形である。子供の目の前に出して挨拶をする。左右に揺らすと踊っているように見える。面白がった子供が人形の頭をつかんで抜き取ってしまう。「痛い」とわたしが言う。子供が慌てて「ごめんなさい」と返す。人形が痛かっただろうと感じたから。でも、誰か痛かっただろうか。痛くない。手袋が外れただけだ。衣類としての手袋はどこも痛んでいないし、ましてや演者のわたしも痛くない。子供ももちろん痛くない。痛かったのは、わたしの動かした手袋と、それを見た子供の間にあった何かだろう。その全てはわたしの中にはない。手袋人形がどのように痛かったのかは子供しか知らない。そして手袋人形の動きの全てが子供の中にあるわけでもない。世界とわたしの間に、わたしとあなたとの間に、多分、けしてわかることのない他者を理解するためにわたしたちは物語を作るのだと思う。

 

個人賞としておおらりさんの作品を選んだ。課題の文字が「天」だということもあり、星空に関する作品が多く寄せられていたが、わたし個人としてはこの作品の星空が一番美しいもののように感じたからだ。「天の川を見たことがある、秋に。」で始まる小説に実のところ星の描写はほとんどない。語り手が天の川を見た時の記憶が語られるだけだ。農村での大学のフィールドワークの帰り道。ひんやりとした空気。周りに何人か、おそらくは同じゼミの学生だと思われる。語り手自身の記憶においてそれらは背景で、個々の学生たちの名前も覚えていない。そこで見た天の川は「見たこともない程たくさんの、星が流れる川」で、語り手本人はそれを「美しい」とすら言っていない。でも多分、読み手としてのわたしは語り手の「目の奥に残った」というその星空を、その人の見た唯一無二の星空なのだろうと受け取る。その夜空が本当にこの世における最も美しい星空だったかは分からない。でも、その人にとっては背景の記憶が薄れてもいまだに残り続ける星空だったのだろう。それは語り手本人が明言していない以上は受けて側の空想でしかない。語り手によって意図的にそのように思うよう誘導されたされないに関わらず、その星空の美しさは全くの受け手側の空想である。わたしが感じる農村の夜空の天の川は、語り手の見たものと全然違うものかもしれない。ただ、この空想こそが、物語という表現の生み出す最も美しいもののひとつではないかと思う。

 

佳作の花明さんの作品も星空の物語であるが、こちらは語り手が空想を作り出す話である。紙に穴を空けて作った星座たちの中に「オリオン座(気づくとそこにあった)。」と照れ隠しのように実際の星座を混ぜるところに作者のユーモアと語りの巧みさをにおわせる。この一文があることで、空想の夜空に没頭する主人公がそのまま読者を置いていかず、ちょっとこちらに目を向けてくれ、閉鎖的な内面世界に一瞬気持ちのいい風が通り過ぎていくような効果を感じる。ここの部分自体が作品に空いた小さな星座の穴のようだ。紙の星空の世界は物語世界そのものを侵蝕することはないが、締めくくりの「ぼくの部屋は宇宙だ。」の一文は不思議と開かれていて、こちらも主人公の空想宇宙を垣間見たような気持ちになる。「ほん座」も「つくえ座」も「ちきゅうぎ座」も「サッカーボール座」も表面上はただの紙の穴だ。けれども読者であるわたしは主人公の本や机や地球儀やサッカーボールに囲まれた毎日の生活を思う。このこはきっと小学生くらいの男の子だろう。空想の物語を愛するに違いない。運動もきっと好きだ。勉強も時々は一生懸命するかもしれない。そんなことはどこにも書かれていない。物語とその受け手であるわたしの間にあるだけのものだ。140字という制限の中で、それを作り出すことのできる作品たち、書き手たちに今回のコンテストでも多く出会えたことを素晴らしいことだと思う。

 

 四葩ナヲコ

 

星々が2020年に活動を始めてからこれまでずっと、140字小説コンテストの担当をしています。「季節の星々」の選考について、「星々らしさ」というものが時折話題になるのですが、これはもう、わたしが「星々らしさ」なのだと言っても過言ではない……いえ、過言でしたね。「星々らしさ」はわたしをはじめ運営スタッフがつくっているのでも、はたまた星々の発起人であるほしおさなえさんがつくっているのでもなく、星々に作品を寄せてくださっている応募者の皆さまがつくっているものだと、常々感じています。

コロナ禍にスタートした星々の活動は、当初はその閉塞感の中で、「誰かに届けたい」という書き手の切実な想いを掬いあげることを目指していました。現在は「生活者の創作に寄り添う」ことを掲げ、忙しい日々の合間に読んだり書いたりできる140字小説は、特に力を入れているコンテンツのひとつです。「季節の星々」に集まるのは、書き手の皆さまひとりひとりが、小さな発見や心の動き、自由な空想といった物語のタネをそれぞれの暮らしの中で140字に膨らませ(ときには膨らませすぎたところを刈り取って)つくりあげた作品たち。まだ見ぬ読者に届けようと勇んで(もしくはためらいながら?)送信ボタンを押され集まったその作品たちを、いちばん最初に読むことができるのは、この上ない役得です。

今年度は新たに過去の受賞者による選考委員会を発足し、委員それぞれが個人賞を選ぶという試みを行いました。選考委員個々人の評価が大きく反映される方式のため、より幅広い作品が選出されるようになるメリットともに、これまでと雰囲気が変わってしまうのではという心配もほんの少しありました。わたし個人に関していえば、選考の各段階で「星々らしさ」を意識したことはあまりなく、自分が純粋に面白いと思った作品を選んでいくばかりなのですが、同様に四名の委員がそれぞれの評価軸で選考を行い、最終選考へと作品数が収束していく中で、選ばれたこの作品もあの作品もやっぱり星々らしい。不思議でありながら、当たり前のことのようにも感じられます。

 

個人賞に選んだのは橋本航さんの作品。

読み終えて自然に口元が緩んでしまう、読後感の良さがピカイチでした。「いつでも先回りする天才の彼女と、その彼女に頭が上がらない情けない語り手」という図式と見せかけて、彼女の先回りを逆手にとり、大事な場面で悠々と余裕を見せる鮮やかな手口。いわゆるどんでん返しの構成が嫌味にならないのは、この後の二人に訪れる幸せな展開がありありと予想できるかたちで示されているからでしょう。また、この作品には、独り言のように彼女のことを説明していた語り手が、「かわいげがないと思いますか」と突然読者に向かって語りかけ、その次の文ではさらにその読者をほったらかして、彼女に「あなた」と呼びかけているという、語り先のずれのようなものが見られます。読み手がこの物語を眺めている位置が目まぐるしく揺さぶられ、乾杯の場面がよりドラマティックになるとともに、二人をすぐそばで見守っているような気分にさせる臨場感を生んでいると感じました。真っ赤になった彼女もこのままやられっぱなしではいないはず。どんな反撃があるのかと、想像は尽きません。

 

そのほかの入選作について。

おおらりさんの作品は、美しい天の川の追憶ですが、わたしは「ひとりも名前を思い出せない」という一文がざらりと心に引っかかりました。記憶というものにはまだらな濃淡があり、その核となる部分が鮮烈であればこそ、失われてしまうものもあるのでしょうか。

形霧燈さんの作品は、子どもにとって未知の概念である「死」を探究しようとする少年の物語。「明日がその日かもしれない」には彼なりの切実さがありますが、母親とレオにはそれが伝わらないことが、かえって温かい。彼がこのままの温かさと安心の中で成長していくことを心から願います。

藤原かをりさんの作品は、空が欠けるという着想と、抑制のきいた描写が印象的です。「冬の空が、昨日より少しだけ高くなった」というラストの一文で、美しい幻想が季節の移り変わりへと繋がっていくことに広がりを感じました。

 

佳作では、右近金魚さん、花明さん、星さんの作品が心に残りました。

右近金魚さんの作品は、天国の父親からのメッセージ。「お腹と心は温かく」という言いつけを守ろうとするまでもなく、もう胸が温かくなっている、なんという即効性。読んでいるわたしまで、じんわり温かくなるようです。

花明さんの作品は、少年の空想の世界もさることながら、それを成立させる「ロケットペンシル」という小道具にも注目。調べてみると今も百円ショップなどで売られているようなのですが、わたしはあの連結式のペンを多くの子どもたちが使っていた時代、つまり、懐かしい昭和の小学生の物語として読みました。自分だけの星座をつくっていた少年は、どんな大人になったのでしょうか。

星さんの作品は、「ももたろう」のむかしばなしをなぞるような筋立てで、きびだんごならぬ天むすと旅に出る物語。ヒーローを志しているのが語り手ではなく天むすのほうであることや、天むすが食材ごとにばらばらに分解されてしまうことなど、随所になんともいえないおかしみがあります。この、天むすという絶妙な食べ物のチョイスには今回の課題文字「天」が貢献したのではないでしょうか。「旅に出た」といったそばから旅のパートナーのはずの天むすを配ってしまう急展開と、140字に収めるには多すぎる登場人物(モノ)を含む前半部分をぎゅっとコンパクトにまとめあげることで、後半は天むす亡きあとの語り手の心情を丁寧に描く、緩急が非常に巧みでした。

 

この春からの新年度は選考委員会に新しいメンバーを加え、季節ごとの担当制で選考を行うこととなりました(個人賞は取りやめ、委員間で意見を交換して受賞作を決めていく予定です)。選考側の視点を増やすことで、さまざまな作品をお届けできる機会も広がります。応募いただいた作品たちから醸成される「星々らしさ」もまた少しずつ移り変わりながら新しくなっていくことでしょう。新年度の「季節の星々」も、どうぞよろしくお願いいたします。


2025年度下半期「季節の星々」受賞作は、二次選考通過作とあわせて雑誌「星々vol.9」に掲載します。
サイトでは2026年6月30日までの期間限定公開となります。

下記のnoteで応募された一次選考通過の全作品を読むことができます。

これまでの季節の星々

2024年度 2023年度 第3期 第2期 第1期


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