140字小説コンテスト

季節の星々(春)

 

 

 春の文字

 

作中に「細」という文字を入れる

 

募集期間

2024年4月1日〜30日

 

応募総数

644編

 

選考

ほしおさなえ

星々運営スタッフ

 


 選評

 

ほしおさなえ

 

先日、140字小説について語る機会があり、その席で星々のコンテストの選考でなにを大切にしているかという話になりました。140字小説も「小説」なので、まずは小説としての面白さが備わっていることが求められます。その上で「星々の」コンテストとして求めるのは、「他者への視線があること」とお話しました。わたしたちは自分の頭でものをとらえることしかできません。しかし、わたしたちのまわりにあるのは「自分以外のもの」ばかりです。「わたしでしかないもの」が「わたし以外のものに出会う」ところに人生の喜びと苦しみが詰まっています。わたし以外のものと出会うとき、わたしは世界と向き合い、わたしをとらえなおしていくのかもしれません。

 

今年度から1席〜3席という順位付けをやめ、入選3編という形で選ぶことになりました。各季節の入選作3編×4回の計12編が、年度の最後の年間グランプリの対象になります。これまでも入選3作は僅差であることが多く、年間グランプリの充実に向けて選考の対象作を広げたいと考えたからです。今回もそれぞれに傾向は違いますが、素晴らしい作品がそろいました。

 

入選。高遠みかみさんの作品。「細雪って知ってますか」という冒頭の一文のうつくしさに心を奪われました。語り手は谷崎潤一郎の「細雪」を読んでいない。読んでいないからこそ「細雪」という言葉の持つイメージが無限に広がっていく。語り手の前にはだれかがいて、語り手はその人に「自分固有のイメージ」=「だれとも分け合うことのなかった自分の心」を差し出したいと感じている。でも実際に出てきたのは「手を繋ぎませんか?」という言葉。まずは肉体の一部である「手」を差し出すしかない、その頼りなさを繊細に捉えた作品でした。千景虹さんの作品は出会うことの困難を描いています。ともに生きるために身体の形まで変えたのに、目の前の相手は受け入れない。人類の歴史のなかで繰り返され、いまも世界各地で続く分断を想起しますが、わたしたちのすぐ近くの出来事とも通じます。周りと交わるために自分本来の姿を捨てながら、なおも対等に扱われない。その理不尽さと苦悩が描き出されています。酒部朔さんの作品。大切な人の最期を前に自分の切実な思いを伝えたいと思う。愛や感謝、謝罪もあるかもしれません。しかし死にゆく側にとっては、それらはすべて別れの言葉。そのことを悟り、伝えたい気持ちを飲み込んだ経験を持つ人は多いでしょう。「手を握る」のは愛の証。死を恐怖しながらも、父は愛も求めていたでしょう。我が子が「愛=繋がり」を選び、生きる側に立って自分を送り出したことは喜びにもなるでしょう。

 

佳作。赤木青緑さんの作品は、言葉とイメージの危うい関係を軽やかに描き出しています。平易な語り口ですが、言葉というものの謎に迫る鋭さがありました。泥まんじゅうさんの作品。コーヒーにミルクを入れカップのなかが明るく染まる。その情景を夜明けに重ねています。まるで父が夜明けをもたらしたかのように。右近金魚さんの作品は、家族だけのルールを題材に人生を描きだします。年を重ねるごとに、子猫、初恋、家内安全と願いが移り変わっていくのが、語り手の成長(大事にするものの広がり)を感じさせます。そして最後の、高齢(おそらくは体調を崩しているであろう)の母の隣で蕎麦を切らないように慎重に食べる姿。「微かに光る細い糸」が命を思わせ、心に響きます。三津橋みつるさんの作品。人は亡くなっても、どこかに存在し続ける。ときには生きていたころよりもっと鮮やかに。亡くなった人との交流を軽やかに描き出しています。五十嵐彪太さんの作品。細い糸のような紙片に息を吹きかける。紙で作ったヒトガタに魂を宿らせるように。ときに舞い散る青葉や蝶は、言葉の破片でしょうか。山口絢子さんの作品。着物をリメイクしたワンピースからよみがえる遠い日の記憶。短い描写のなかに、友人の母親へのほのかな憧れが見えてきます。素足のまま月夜を駆ける友人の姿が幻想的です。祥寺真帆さんの作品。滑稽みのなかに人生の悲哀を感じます。「細く長く」でも「太く短く」でもなく「細く短く生きる」。書いた人たちの人となりが伝わってくるようです。「最後の一人のカードを押しつけ合う」という距離の取り方が絶妙で、余韻が残ります。

 

 四葩ナヲコ(星々運営)

 

季節の星々の審査を行う中で、我々がよく口にする言葉に「着地」があります。「着地が鮮やか」「素晴らしい着地点」のように使われるこの言葉、改めて考えてみても「着地」以外にはなんとも説明しづらい不思議な言葉なのですが、作品の評価の重要な手がかりにもなっています。着地と言うからには、着地前の物語はつまり空中にあるようなものでしょうか。ぽーんと高く跳ね上がったり、ふわふわと漂ったり、自由に羽をはばたかせたり、あるいはほぼ動かないまま微かに空気を震わせたりしている物語が、140字という長さを使ってどこに辿り着くのか、どこに読み手を連れていってくれるのかがすなわち着地です。あっと驚くオチや思いがけない飛距離も目をひきますが、派手さはなくとも書き手が実感を持って導き出した結末には胸を打たれます。今回も「着地が鮮やか」な作品がたくさん集まりました。

 

高遠みかみさんの作品は、ラストの一文以外全てが括弧の中に収められており、狙いを持って技巧を凝らした文章であることが一見してわかります。仕掛けのある構成の面白さとともに、その奇抜さとは対極を成す豊かな情感に溢れていることに心惹かれました。括弧の内外どちらも会話調で地の文にあたる要素はなく、状況は全く記されていないのですが、お互いに好意を抱いた二人の間で今まさに恋が動き出す、そんな一場面を想像して読みました。もちろん別の読み方もあるでしょう。細雪というモチーフ、ですます調の文体、「おれ」という一人称、全てに想像力を刺激され、ラストの「手を繋ぎませんか?」で思わずため息が漏れる、うっとりするような読書体験でした。

 

 千景虹さんの作品は、人間と姿かたちのかけはなれた異形のものが語り手です。外見の描写や「目を潰す」「(顔に)穴を開ける」といった行為が衝撃的で、そこまでしてもやはり銃を向けられる怪物としてしか扱われない語り手のやるせなさが際立ちます。「まったく」から先の語り口に恨みや敵意が感じられないことから、この生き物なりに人間と親しくなろうという動機に基づいた行動なのだろうと感じましたが、傷を負ってまで施した擬態は成功せず、語り手は外見のみで判断され、敵とみなされてしまいます。話し合いを放棄し、意図を汲もうとはしないまま、自分とは異なる存在をただ排除しようとする行為は現実の世界にも起きていることです。果たして自分はこの化け物を受け入れることができるだろうかと想像すると苦しくなります。異質なものへの嫌悪という誰もが持ちうる感情と、そこから生まれる差別意識、その哀しさを強く感じました。

 

酒部朔さんの作品は、病室での父と息子の一場面を描いています。死期の近づいた父親を前に語る言葉を持たず、鼻歌やホラ話に逃げ道を求めてしまうような息子ではあるのですが、自分が突然手を握るようなことをしたら父親に死を悟らせてしまうという、父子のこれまでの距離感を俯瞰できる冷静さも持ち合わせているようです。「手を握りたい」という感情にただ流されるのではなく、その結果起こりうることも視野に入れたうえで、それでも自分がこれ以上後悔しないために、手を握ることを選んだ、生きていく自分のほうを意志を持って選んだという結末に、残される者、生き続けていく者としての覚悟を感じました。

 

佳作では、赤木青緑さん、右近金魚さんの作品が印象に残りました。「細い」を言い訳のように繰り返しながら「おそらく細かったせい」と飄々と言い放つおかしみ、家族の思い出と自らの願いの変遷を辿って確かめなおす切実な想い、全く違うタイプの作品ですが、どちらもそれぞれにふさわしい着地がなされていると感じました。


 

入選

  

 

高遠みかみ

 

(細雪って知ってますか。谷崎の。中学のとき友人が読んでて、どんな話かって聞いて。そしたら細い雪が降るって。そのまんまですね。でもその友人、実は全然読んでなくて。で、おれも本読まないんで、おれにとっての細雪って、ずっとしずかに雪が降ってるだけの小説なんですよ。)手を繋ぎませんか?

 

 

千景虹

目は二つと言われたので残り五つは潰しました。口は一つのようなのでそれっぽい穴を開けました。手と足は二つずつらしいので素敵なものを拵えました。これでいいかと思ったけれど、やっぱり細い筒を向けられました。

まったく。この生き物たちにとって、いったいどこからが「同族」なのでしょうか。

 

酒部朔

 

介護用のミトンを外すと細くなった指が現れる。鼻歌でもうまかったらよかった。ホラ話がうまかったらよかった。もっと父と触れ合えばよかった。手を握れるのは最後になるだろう。ぼくがいきなりそんなことをしたら、そう、最期だと父は悟るだろう。ぼくは握った。ぼくが生きていくために握った。

 


 

佳作

 

赤木青緑

 

細い魚を見た。見たことのない魚だった。細さが際立っており細いという特徴がダイレクトにきた。細い魚としかいいようがなかった。よおく見ると魚ではなかった。細い紙だった。紙を細長く折り畳んだものだった。魚とは似ても似つかなかった。なぜ魚だと思ったのだろう。おそらく細かったせいだろう。

 

泥まんじゅう

 

父はいつも明け方にミルクをいれる。いつものカップに黒いコーヒー。そこへミルクをゆっくり回し入れる。カップの黒い水面では、か細い白い線が渦を巻いて、徐々に全体の色を明るく染める。父がミルクを注ぎおえる頃には、なぜかいつも夜があけて白い陽がにじみ始めている。父はこの日課を仕事と呼ぶ。

  

右近金魚

 

「蕎麦は途中で切らない」。それがわが家の約束だった。つるつると麺を啜るおかっぱ頭の私。湯気にむせ噛み切りたいけれど、ぐっと堪える。上手くいけば願いが叶うと信じている。子猫、初恋、家内安全と願いは移り変わっていった。今夜も眠る母の隣で蕎麦を啜る。微かに光る細い細い糸を手繰り寄せる。

 

三津橋みつる

 

お喋りだった祖母が唯一静かだったのは、棺の中にいる時だった。病床ですら嘘みたいに賑やかだったのに、私のぴかぴかのランドセルはついぞ見ることはなかった。

祖母は今でもお喋りだ。

私が欄間を見上げれば、額縁の中で目を細め、口角を上下させる。息継ぎが要らないぶん、昔よりよく喋っていた。

 

五十嵐彪太

 

和紙の層に刃を入れます。「小口」と名を得たその断面は鋭く整い、しかし、ふんわり空気を含んでいます。しばし見惚れた後は切り離された紙片の中でとりわけ細い――糸のように細いものを――つまみ上げ「ふ」と息を吹き掛けます。すると、ごく偶に青葉が舞います。ごくごく稀に小さな蝶が飛んでいきます。

 

山口絢子

 

すっかり細くなった友は、和柄のワンピースを着ていた。これ、母の着物だったの。覚えている。彼女のお母さんは参観日、必ず着物で、あやちゃん、と私に微笑んだ。彼女はお母さん似の笑顔で、器用に林檎を剥く。あら、何の音かしら。豆腐屋のラッパの音だ。彼女は素足のまんま、月夜へ駆けてゆく。

 

祥寺真帆

 

「これじゃ同窓会というよりただのお茶だ」会うのは仲間の葬式以来だ。細く短く生きる。文集に同じ言葉を書いた二人が残るとは思わなかった。勉強ができたやつ、モテたやつ、仕事で成功したやつ、皆いなくなった。「お前の方が生きるよ」「いやお前こそ」別れ際、最後の一人のカードを押し付けあう。

 

第5期上半期「季節の星々」受賞作は、予選通過作とあわせて雑誌「星々vol.6」に掲載します。
サイトでは2024年12月31日までの期間限定公開となります。

下記のnoteで応募された全作品を読むことができます。

これまでの季節の星々

2023年度 第3期 第2期 第1期


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